恵比寿に行った。
19歳からしばらく、住んでいた街。
用事がある店が、偶然にも当時の部屋の近くだった。
西口を出て商店街を歩いて帰っていたあの時のように、歩き出す。
西口には相変わらず親切にトイレがあった。
綺麗な囲いがしてあって、この街らしいなと思った。
そして相変わらず駅前に喫煙所があった。
綺麗とは言えない囲いがしてあって、それもまた、この街らしいなと思った。
駅前の味のあった古本屋は、洒落た花屋になっていた。
学校帰り、バイト後に寄っていたサンクスは、時代の流れで当たり前にファミマになっていた。
友達と鍋をやるときにいつも生鮮品を買っていたピーコックは、ニュースで見たように本当に閉店していた。
思い出があるどの建物も、形は変わっていないのに、中身が変わってしまっていた。
大切なのは箱ではなく中身なのだと、強く実感した。
自分もかつてのこの街の中身だった。
ここに住み、バイトをした。
僕がこの街からいなくなった時に、寂しさを感じた人はいたのだろうか。もし、いたとしたら、少し嬉しい。
街の流動性は高い。
その流動性の高さが、多くの人の思い出を美しく整える。
その時のそこでしか見られないもの、関われないもの。
僕はあの時にこの街にいられて幸せだった。そして、今の恵比寿も誰かの心の中でいずれそうなるんだろう。
枝のように分かれて、それぞれの花が咲く。
思い出とはそういうものなのだと思ったし、街とはそういうものなんだと思った。
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